プロフィール
2000年に、外食チェーンを立ち上げようとしたものの、資金調達に失敗しました。
これが、私のコンサルタント人生の始まりです。
1984年~1986年 社会人開始(廃業からの出発)
関東の大学を出たのち帰郷し、病気になった父親の会社に入りました。ここから、私の社会人生活が始まりました。
5か月後に父親が死去。事業の引継ぎをする時間もなかったため、廃業を決意しました。鉄工所を経営していましたが、5ヵ月では何も分かりません。そして、高校時代の野球部の先輩などの士業の方々の助けを借りながら、公的金融機関などとの交渉をするなどにより、3年かけて廃業の処理を行いました。
夜中に他県から業者を呼び、工場の機械を売るなど、かなり際どい思い出満載です。なんといっても、借金が1億円超、預金なし。自宅は売ってもとても返せないような金額で3社、1団体が抵当権を設定していました。あるとき、「自宅を競売にかけたいので、現地調査に立ち会ってほしい」と抵当権者から連絡をうけました。若く怖いもの知らずの野球部体育会系。「バイト代、頂戴」と逆襲。となんやかやといろいろありましたが、道義上の問題でもあったため、素直に現地調査に立ち会いました。
その後、3年間、借金の片づけ等々に追われました。
1896年~1993年 東京復帰と初めての創業、そして挫折、サラリーマン
1986年にどうにか、父親の借り入れに対する道義上の対処は終了。そこで3年ぶりに一升瓶を抱いて上京、昔のバイト先にしばらく居候。3ヶ月後に、そこを出てアパートを借りて、リクルートフロムエーで人材募集の営業の仕事をはじめました。
しかし、「サラリーマンに向かない」と事業計画も作らず28歳のときに、有限会社ビッグバンという会社を作り、事業を始めました。事業内容は、地元(徳島県)の食材(生鮮から加工食品)をレストランなどに卸すといったものでした。今でいえば業務用食材の産直販売です。商売のカギは、「田舎の食材の方が安い」「価格で勝負」と考えたのです。しかしながら、事業計画すらなし。パソコンも携帯電話もない時代に1人で開始。「甘かった!」と大いに反省し、やり返しを心に誓いつつ1年でいったん休業することにしました。
続けていれば、大化けしたかもしれないかもと、思ったりしましたが…。でも、直観、思い先行、深く考えず、計画も作らずに事業を始める、おまけに目標も不明瞭、ほとんど行き当たりばったり。どう考えても、これではダメ、お話しになりません。続けなかったのは正解でした。
その後、不向きとよくよく知りながらも、家庭をもったこともあり、サラリーマン生活にもどりました。
1993年~2000年 飲食業界での創業を目指して
サラリーマン生活に改めて入ったものの、コンサルティング会社、IT系の会社等々、職を転々。1990年代後半、サラリーマン生活に全く向いていないことを心底知り、自分が最も好きな業界である飲食業での創業を目指すことにしました。そこで、まずやるべきことはと考え、すぐ実行に移したのが現場経験でした。1993年に天ぷらのファーストフードチェーン「天丼 てんや」ファーストチェーンの(株)テンコーポレーションに入社。ここで、3年半にわたり、天ぷらをひたすら揚げながら、ホールを素早く切り盛りしながら、毎月、数値管理を行いつつ、飲食業の現場、現実を勉強しました。飲食業とは何かということを真摯に学んだ時間でもありました。
初めて揚げた天ぷらを美味しそうに食べてくださった女性のお客様の笑顔、チェーン店なのに、私を指名して注文してくださるお客様、一生、忘れることのできない時間でした。さらに、創業者の岩下善夫さんとは、個人的にお付き合いしてもらい、飲食業の「いろは」を勉強させていただきました。岩下さんは、私と家族を別荘に呼んでくださったり、飲みに連れて行ってくださったりしました。「食い物屋とは何か」ということを、真剣に教えてくれました。マクドナルド創業時のメンバーで、日本の外食チェーンの創成期を作り上げた岩下さんとの出会いは、飲食業の本質を学ぶための貴重な出来事、運命といえました。
天ぷらを揚げ始めてから3年を過ぎたころ、もう少し違う角度から飲食業を知りたいと考えるようになりました。集団給食のシダックス(株)に転職しました。一般に外食と言われるのは営業給食、対して社員食堂などは集団給食と呼ばれます。シダックスでは、入社後すぐの研修で現場に入りました。
驚きでした。基本的に同一のメニューで運営する外食の世界と毎日違うメニューを提供する集団給食の世界は、まったく別物でした。同じように見える飲食業界ですが、廃棄ロス一つとってもまったく考え方が違いました。飲食業界での視野を広げる良い時間となりました。
2001年~現在 飲食業を資金から支援するコンサルタントへ
シダックス(株)時代には、どのような業態で独立しようかとの思いを常に胸に抱き、仕事をしていました。そして、鉄板、網焼き双方を使った焼き物屋の新業態を考え、独立を決意しました。今度は1人ではダメと昔、働いていたコンサルティング会社(サンマルクや牛角をバックアップした会社です)の同僚とともに、事業を始めようと。ところが、なんと思惑外れで資金調達が上手くいかず、中断するしかない…。
とはいえ、何はともあれ逃げ道なし。シダックス(株)時代に取得していた中小企業診断士の資格を元手にコンサルタントとして、独立することにしました。2001年に新居中小企業診断士事務所として、二回目の創業に挑むことになりました。
最初に取り組んだ仕事は、小笠原の飲食店の経営指導です。本土から1,000㎞も離れた観光の島での話でした。それから、セイフティネットという当時の緊急の中小企業向け倒産防止資金の貸し付けの審査の仕事をしたり、創業融資に関する審査、アドバイスをする専門家として行政で仕事をしたりしました。飲食店のコンサルティングについては、寿司屋、居酒屋、ラーメン屋に焼肉屋、カフェ等々、多種多様に行いました。
その後、資金調達に関して深く広く関わるようになっていきます。創業関連融資に加えて、事業低迷による資金調達、飲食店に新分野進出するための資金、銀行からの融資が受けられずの企業へのノンバンクを活用した資金調達など、様々な状況に対して、多様な手段で実践を積み重ねました。
現在、現金商売であるがゆえに財務、資金調達に甘くなりがちな飲食業界で、財務・資金調達の専門コンサルタントとして、飲食店経営者の皆さまの笑顔とお店にお越しなったお客様の笑顔を創造する仕事に熱中しています。
飲食店資金調達センター
代表 新居 智臣(にい ともおみ)
1961年生まれ 徳島県出身
中小企業診断士、事業承継士